ゴマの足跡日記 2歩目

2019年8月23日に11年過ごしたYahoo!ブログから引っ越してきました。

オシム前監督、オーストリアに帰国

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先日、オシム前監督が日本を経ちました。

彼がジェフに残してくれたものを振り返ると。
グラーツを去った後、新しい挑戦として来日。肉体面では「走力」、精神面では「哲学」の二面的アプローチ、「賢く走る」「危険なサッカー」をキーワードとした指導で、ズデンコ・ベルデニック監督以降危機・低迷から脱していたジェフ市原を、さらに改革した。

2003年、当時21歳の阿部勇樹をキャプテンに抜擢、1stステージで初優勝王手まで勝ち進む。しかし首位攻防戦となったアウェイ静岡2連戦で13節:ジュビロ磐田戦に引き分け、14節:清水エスパルス戦ではプレッシャーによる大敗を喫したことにより、王手をかけながらも初優勝を逃した。また2ndステージでは14節:大分トリニータ戦で引き分けたことにより、実質的な優勝の可能性を失った。しかし1stステージ3位・2ndステージ2位・年間通算成績3位とクラブ最高の成績を記録。そのサッカーは多くのサポーター、サッカーファンを魅了し、彼の名声を高めることになった。

2004年、崔龍洙中西永輔を放出し、経験・身体的に弱い若手中心となり、戦力ダウンは避けられないと見られていた。又、この年は主力選手の怪我も重なった。しかしながら結果としてタイトルは取れなかったものの2ndステージでは2位、年間通算成績は4位と前年とほぼ同等の成績を残すことができた。資金・選手層に乏しいジェフにおいて、この好成績は、オシムの監督手腕の高さによるものと評価されている。

2005年、かつての主力選手でもあった村井慎二茶野隆行、サンドロ、マルキーニョスミリノビッチなどを放出した。しかし、技術に優れ攻守に貢献するマリオ・ハースや、DFながらも攻撃の組み立てに多大な貢献をするイリアン・ストヤノフの補強によって、その穴を埋めた。また、巻誠一郎が日本代表に初選出、水野晃樹水本裕貴が、ワールドユース出場を果たすなど若手も成長し、戦力低下は招かなかった。ヤマザキナビスコカップでは準決勝で強豪浦和レッズを倒して決勝戦に進出。決勝ではガンバ大阪と延長、PK戦と激闘を制しチームに初のタイトルをもたらした。

2006年、以前から試験的に採用していた2バックを実際に使用していたが、これは単に選手名鑑でDF登録されている選手を2名だけ起用したにすぎない。対戦相手を鑑て、当日のサッカーを決めるということは変っていなかった。シーズン途中の7月に日本代表監督への就任が決まり、監督を辞任した。

ジェフに初タイトルをもたらしてくれたのはもう言うまでもありませんね。

何より『走る』重要性を教えてくれました。

上にも書かれてますがリスクを冒して攻めるために2バックで戦ったこともありました。

オシムさんのサッカーは本当に刺激的で見ていて楽しかったです。


今さらですが2006年にJFAが引っ張らずに、そのままジェフの監督を続けていたならと思います。

それでも代表の『日本化』という言葉に期待感は高まりましたけどね。


そして倒れたと報道を受けた時には我が親のように心配し、悲しみました。

ここまで回復してくれて本当によかったです。




オシムさんが日本を離れるのがとても寂しいですけど今は体を第一に考えて欲しいです。

そして頭の隅っこにでもジェフの事を考えてくれてればすごく嬉しいです。


空港まで見送りに行かれたジェフサポの皆さんにも感謝します。






オシムさんが再び日本の地を踏んでくれることを夢見て。