ゴマの足跡日記 2歩目

2019年8月23日に11年過ごしたYahoo!ブログから引っ越してきました。

祖母が天国へ旅立ちました

3月1日、祖母が天国へ旅立ちました。

 

朝5時半頃、父と母からそれぞれ着信が入っていました。

自分はスマホをマナーモードにしていた為、最初は気付かなかったんですけど、ふと目が覚めてスマホに届いていた母からのショートメールで気付きました。

『ばあちゃんが亡くなったよ』と。

すぐに電話をかけ直すと両親は涙で声が震えていました。実は着信が入る何十分か前、ふと目が覚めたんですよね。その時は時計見てまた眠りについたんですけど、ばあちゃんが亡くなった知らせだったのかもしれません。

 

寝ていた嫁さんを起こし、身支度を済ませて、早い時間に申し訳ないと思いながらも職場の人に朝一の仕事の引き継ぎを済ませ実家へ。向かう途中母から電話があり、運転をしていたので嫁さんに出てもらったら葬儀場が決まったと。実家ではなく葬儀場ヘ向かいました。

 

葬儀場ではスタッフと葬儀の打ち合わせをする両親と叔父叔母がいました。電話で話したときからすると大分落ち着いたようで少し安心しました。そして奥には横たわる祖母がいました。

 

会えば何かしら話しかけてきてくれたけど、それも無くただただ静かに眠る祖母。ふっくらしていたけど、その面影もなく痩せ細ったその寝顔を見て凄く胸が締め付けられました。

 

祖母は昨年末くらいから入院をしていたけど、1週間ほど前に退院して施設の方に移っていました。

回復して退院できたんだなと少し安心してたけど、本日朝4時半頃に『心臓が動いていない』と父に連絡が入り、そして医者に診てもらった結果、息を引き取った事が告げられました。

本当に突然でした。でも突然だったという事は、静かに苦しむ事なく逝く事ができたのかなと。

 

線香をあげ、両親とこの後の事を話し合い、翌日に通夜、2日後に葬儀を行う事になりました。

我々夫婦は昼に一旦自宅へ戻り、そして再度夜7時頃に自分だけ再度葬儀場へ戻りました。線香の火を絶やさない為に父と叔父と葬儀場に泊まらないといけなかったので。最近のお線香は半日以上続くものも多いので、そこまで気にしなくてもいいんですけどね。でも両親と叔父はさすがに疲れてたんでしょう。早い時間から眠りについて、自分が寝れたのは深夜2時頃でした。深夜の葬儀場は音が何もしないのでちょっと怖かったです。

 

夜が明け、朝食をいただき、朝8時頃に自宅へ戻りました。この日の夜にお通夜なので準備をしに。仮眠も少しとるつもりだったけど、目が冷めたら午後2時を過ぎてましたよ。慌ててシャワーを浴びて着替えて、嫁さんを連れて葬儀場へ。ちなみに自宅から葬儀場までは1時間以上かかります。

葬儀場に着くと、弟が静岡から帰ってきてました。新型コロナウィルスの事もあって、家族は連れて来なかったとの事。それでも昨年の正月以来の帰郷。お嫁さんも子供達もいないので若干心細そうだったな。それはお通夜の時も。弟は18歳で宮崎を離れ、今では同じくらいの年月を静岡で暮らしているので、やっぱり地元の顔とか名前とか親戚も忘れちゃうんですよね。なるべく自分達が近くにいて気付かない程度にフォローしてたけど、友人徒歩再会できた時には笑顔を見せてた。

葬儀ですが、打ち合わせでは家族葬という事で看板も出さずに近い人達だけにお知らせするつもりでした。しかし父は『あの人にも知らせないと、この人にも知らせておかないと、それならあの人にも・・・』と言っている間に普通の葬儀とあまり変わらない規模になっていた気がします。思えば地区の誰かが亡くなった時も連絡して回っていたのは父でした。

 

お通夜も参列される人の流れが止まったようなので、自分等と弟でファミレスへ晩御飯を食べに。何か久しぶりに弟とゆっくり話したなぁ。テレビ電話で甥っ子達を見る事ができたけど、恥ずかしがってお母さんの後ろに隠れてた。

途中父から焼酎とビールを買ってきてくれと電話があったのでドラッグストアで買って帰ったら・・・酔っ払いが3人ほど騒いでました。大声で、大笑いで、聞き取れない方言で。何か久しぶりに田舎の酔っぱらいを見ましたよ。あまりのうるささにばあちゃんが起きちゃうんじゃないかと心配するくらい。昔はよく家に来て飲み方始めて大騒動巻き起こしてたのを見てました。まぁこれも田舎じゃよく見る風景らしいです。

この日は自分ら夫婦は自宅には帰らず葬儀場に泊まるつもりだったので、その酔っぱらい達に絡まれないようにコソッと控え室に隠れました。結構遅くまで声が聞こえてたなぁ。

 

そして3月3日、外はとても気持ちの良い青空が広がっていました。

親戚を含め集合写真を撮り、そして葬儀が始まりました。やはりその時になると悲しさと喪失感が増してくるもんですね。孫達の中じゃ自分が一番年上なので、嫁さんにも弟にも涙は見せたくないんですよ。泣いてしまいそうで思い出の映像も直視できず、棺で眠る祖母にも最後まで声をかけられず。変な意地張ってると思われるだろうけど、許してください。思えば28年前のじいちゃんのお葬式では涙ボロボロ流したのを覚えています。

火葬場はこの葬儀場から都城市内を抜けて40分ほどの所にあり、身内と祖母と親しかった人だけバスで移動。なんかね、ここから早かったです。葬儀場で2日半ほど過ごした事もあるんでしょうけど、霊柩車から棺を運んだら最後の合掌後に流れるように火葬炉へ。最後に父が火葬のスイッチを入れました。もうばあちゃんの姿は見れないんだな。そう思うとまたこみ上げてきました。生前、ばあちゃんと親しかった近所のおばあちゃんと思わず『淋しいね・・・』とお互いもらしてしまった。

そこから昼食を取り、約2時間近くゆっくりと時間を過ごしました。弟は親戚の中にいるのはなかなかしんどかったようで、早々に姿を消しました。

 

火葬後、骨上げも終わり葬儀場へ戻ったのは午後3時。自分ら夫婦と弟は先に実家へ帰らせてもらいました。ばあちゃんの家は実家のすぐ隣で、少しでも片付けてばあちゃんが気持ちよく家に帰ってこれるようにね。もしかしたら5、6年振り、それ以上振りの帰宅かも。でも自分らも疲れ切っていたので、大して片付けられなかったけど。

1時間くらい後に両親と叔父叔母も帰ってきました。もちろんばあちゃんも一緒に。じいちゃんと並べられる遺影に、やっと再会できるんだなぁとふと思いました。自分も幼かったからじいちゃんとばあちゃんのやり取りなんて記憶に残ってないのであんまり想像できないけど。

じいちゃんと会えたら孫達は綺麗なお嫁さんと優しい旦那さん、かわいいひ孫も産まれて、そして立派な仕事についていると伝えてください。

88年間、長い人生本当にお疲れ様でした。どうぞ安らかに眠ってください。

 

そして両親と叔父さん叔母さん、長い間ばあちゃんのお世話ご苦労様でした。